一般財団法人大阪湾ベイエリア開発推進機構
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広報誌『O-BAY』
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ベイエリアで夕陽を
夕日+大阪人パワーで街に元気を
 Interview   高口恭行さん(一心寺住職・建築家)
高口恭行さん◆たかぐち やすゆき
1940年生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院工学研究科修了後、京都大学工学部助手、奈良女子大学家政学部助教授、教授を経て、1992年造家建築研究所主宰。一心寺住職も務める。著書に『住生活と住教育』(分担執筆)などがある。

 私が住職を務める一心寺は、夕陽と深い関わりがあります。1185年、浄土宗の開祖である法然上人が後白河法皇とともに「日想観」を行うためにつくった草庵が寺の始まりなのですが、日想観というのは、浄土教の修行で、阿弥陀仏のおられる極楽を、現世においてイメージする16の方法のひとつとして、夕陽を拝むというものです。なぜ、ここに庵をつくったかというと、この一帯が日想観の名所として知られていたからです。
千年の歴史をもつ夕陽の名所
 平安から鎌倉にかけて、熊野参詣が大流行したのですが、京都を発った一行が、伏見から船に乗って天満に下り、最初の宿を取るこのあたりで日想観をしていました。1236年には、藤原家隆という人が「夕陽庵(せきようあん)」という庵をつくりました。死期が近いことを知った家隆は、日想観をしながら死ぬために、京都からわざわざ移ってきたと言います。
  夕陽丘(ゆうひがおか)という地名もあるこのあたりは、千年の長きにわたって、夕陽の名所であったわけです。 しかし、なぜ、ここなのか。当時は、この寺の西がすぐ海でしたから、海に沈む夕陽を拝みたかったのかも知れません。ですが、熊野参詣の一行は、ここからあと、ずっと海沿いを行きますから、毎日、日想観をしてもよかったはずです。旅の最初の夜を、特別に感じたからでしょうか。それとも、四天王寺が近くにあったからでしょうか。
  聖徳太子が建立した四天王寺は、日本初の仏教寺院であり、中国の寺院様式を模倣してつくられています。なのに、中国にはない西門がある。西というのは、日が沈む方角です。そうなると四天王寺が建てられた時代から、この場所の夕陽が特別な意味を持っていたように思えます。
謎の答えは明石海峡にある
 この謎解きを、いろいろ考えてきたのですが、ふと、ここから真西というと明石海峡じゃないかと気付きました。日没は毎日ありますが、お彼岸の夕陽は特にありがたいとされています。それが、明石海峡に沈むのではないか。
  今、ここから明石海峡は見えないので、お彼岸に南港のWTCに行ってみました。そうすると、太陽は淡路島の上にあった。「これは違ったかな」と思いましたが、夕陽はまっすぐ落ちるのではなく、南から斜めに落ちていきますよね。吸い込まれるように、見事に明石海峡に沈みましたよ。昔の人が驚喜したのが、わかる気がします。今は、橋がしめ縄のように見えて、ありがたさが倍増していますね。
 小学生の時、修学旅行で伊勢に行き、朝早くにたたき起こされて日の出を見ました。小学生でも、夫婦岩の間から昇る朝日を見るのが良いと言うことは知っていて、岩の前の狭い場所で、ぎゅうぎゅう詰めになって見たことを覚えています。これは、仏教以前に伝わった陰陽道と、太陽信仰があわさった考えです。陰と陽の間を通る朝日は、他の朝日よりもありがたい。明石海峡も、なだらかな淡路島と六甲山が、ちょうど陰と陽になるわけです。
  大阪と夕陽の関係を長々とお話ししてきましたが、夕陽というのは、大阪の重要なアイデンティティです。大阪は、明石海峡に沈む、ありがたい夕陽のパワーによって、栄えた街なのです。
街の目鼻をくっきりさせる
一心寺 私は片足で建築の分野に関わっていますので、世界の都市をいろいろと見てきました。今、世界中、どこに行っても、大都市はみな同じに見えます。台所と一緒で、機能主義でつくられているからです。みんなが同じに見える中で、わずかな個性を大事にしなければなりません。大阪には大阪らしいまちづくりが、奈良には奈良らしいまちづくりがあるはずです。それを大事にしたところは、集客都市としても成功します。
 ただ、京都や奈良のように、歴史の中でつくられてきたものが残っていれば、それがアイデンティティになりますが、大阪は戦争で、ほとんどが燃えてしまいました。
  では、形としてのアイデンティティは残っていないのかというと、そうではない。都市のアイデンティティの基本は地形です。大阪の場合、人の顔にたとえると、中之島界隈が目のライン。それに対して、直角に上町台地という鼻がある。この2つを、顕在化、つまり、くっきりさせることが必要だと思います。そして、上町台地のシンボルが、夕陽のある風景なのです。
 夕陽庵をつくった藤原家隆の碑が、一心寺から北に500mくらいのところ、府立の社会福祉短大があった場所にあります。社会福祉短大が府大に吸収され、今は市の土地になっていますが、使い道が決まっていません。例えば、ここに「歴史の散歩道」のセンターをつくる。
  歴史の散歩道とは、市内の史跡を巡るルートで、米国ボストンのフリーダムトレイル(独立戦争の史跡を巡る)を参考にして市が設定したものですが、あまり知られていません。情報をまとめて発信する場所がないからです。
  私は、これに「日想館」という名前を付けて、市に働きかけています。このあたりを良くしたいという思いはもちろんありますが、大阪が夕陽の街であると言うことを、はっきり示す施設をつくりたいのです。
  夕陽の力をみんなが自覚すれば、それが大阪のアイデンティティになり、大阪のイメージになり、いろんな工夫がされるようになります。
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