元永:僕は生まれ育ちが伊賀上野という山ばかりの土地でしたから、海への憧れが強くありました。だから京阪神方面へ出てきたら、ぜひ海が見える場所に住もうと思っていたんです。そんなわけで、最初に住んだのは神戸の魚崎の辺りでした。また僕は、神戸市は六甲山辺りまでベイエリアだと感じていて、だから最初に選んだ抽象体が摩耶山だったのは決して偶然ではなかった。このように、まさに海への憧れが芸術活動の原点になっていたといえると思います。それに、こうしたことがあったから、今も宝塚の、遠くに海が見える高台に住んでいるんだと思います。
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木村:海というのは、何か人の心に訴えるものがあるんでしょうね。そのせいかもしれませんが、大阪湾ベイエリア周辺には、例えば私が館長を勤めている兵庫県立近代美術館の新館が建ちますし、大阪の天保山にはサントリーミュージアムがあるなど、美術館やミュージアムがたくさん作られています。
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元永:水際というのは、単純に面白くて、何かワクワクさせるものがありますね。まだ駆け出しで、作品も売れていなかった1955年に、芦屋浜の松林で『具体グループ』は初めて野外展をしたんです。当時は、今と違ってあの辺には何もなくて、松林のすぐ前に海と白浜が広がり、雰囲気が良かったこともあって、お金はなかったのですが、そこに水の作品を出品しました。ビニールのシートを何十円かで買って、その中に赤色の水を入れて松の木にぶら下げた作品だったのですが、評判がよくて、その後、出品の話を持ち込まれるようになりました。
木村:海岸には、木片とか木の実とか色々な物が流れ着いてきますが、元永さんは、そうしたいわゆるゴミを集めたアートも作っていますね。
元永:そうです、海辺で拾ってきて色を付けた作品を、芦屋市展に出したりしたこともあります。そんな作品ばかり作っていましたから、『変なやつが具体美術協会に入った』と言われましたよ。
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木村:確かに当時としては、大変斬新な感覚だった。
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元永:海辺ということでは、大阪に出てきた頃、まだ今のように整備されていなかった港に出かけて、目についた物を写真に撮りながら歩いた記憶があります。当時、港周辺は、お世辞にもきれいといえるような所ではなかったんですが、その混沌とした姿が何かアートのようで面白くて。そういったことから考えると、海と芸術は抜き差しならない関係があると言えるかもしれませんね。何か心安らぐ感じがして、今でもよく、宝塚の家から遠くの海を眺めたりしています。
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木村:確かに、港には都会の真ん中にはないような面白いものが、建物以外にもたくさん残っていて興味深い。
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元永:ええ、そう思います。
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木村:ところで大阪湾ベイエリアには、例えば田淵安一さんが手がけたATCの外壁の絵画など、たいへん大規模で半永久的に残る作品などが色々あります。こういったウォーターフロント沿いに芸術作品がどんどん増えていくと、刺激を受けて、さらに新しい芸術活動が生まれてくる。つまり21世紀には、元永さんのように海に憧れて芸術家になろうという人達が、もっとたくさん出てくるかもしれない。
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元永:大阪湾沿いには、建物も芸術的なデザインをしているものが多い。兵庫県立近代美術館の新館も、安藤忠雄さんの設計で、かなりユニークな建物になると聞いていますが。
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木村:規模も西日本最大です。大阪湾沿岸では、サントリーミュージアムやOXYギャラリーがあるライカ本社ビルなども安藤忠雄さんの作品です。
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元永:大阪湾は、橋なんかも個性的なものが多い。
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木村:最近、大阪湾ベイエリアに作られた建物では、ポール・アンドルーがデザインした「なにわの海の時空館」が目立っていますね。まるで海辺に舞い降りてきた宇宙船のようで、ウォーターフロントに、非常に変わった風景を生み出しています。そして中には2つの画廊があります。
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元永:神戸市でもハーバーランドや六甲アイランドに建設されている建物は個性的です。そして、その周辺に置かれる現代美術の作品も多い。
木村:元永さんの作品も、西宮マリナパークシティをはじめ、ハーバーランドなどウォーターフロントにはたくさんある。
元永:海が僕の原点ですから、作品と海が合うのかもしれない。だから人気があるんじゃないでしょうか。
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