一般財団法人大阪湾ベイエリア開発推進機構
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広報誌『O-BAY』
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「都市間競争に勝ち抜け!大阪湾ベイエリア」記念講演会
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公立大学法人大阪府立大学21世紀科学研究機構教授 橋爪紳也氏
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講演の様子
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●はじめに
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 1991年、大阪湾ベイエリア開発整備のグランドデザインの策定の頃から大阪湾ベイエリア開発推進機構に関わってきました。当時国立民族学博物館の端先生と関西全体、ベイエリア全体でシンボルイベントを展開しようという夢のあることを書かせていただき、実現はできませんでしたが、着々とベイエリアは形になってきたと思います。

 現在、私は大阪府・府市統合本部の特別顧問であり、大阪府立大学では観光産業戦略研究所を立ち上げました。観光学、観光研究は関西においても中核的な場所がないということで、国立民族学博物館におられた石森先生と声を上げて15年、ようやく大阪に拠点ができることになりました。

 最近のひとつの大きな研究テーマは、瀬戸内海をもう一度評価しようということです。瀬戸内海がどのように認識され、いかに観光地として開発してきたのか。江戸時代には瀬戸内海という概念はなく、燧(ひうち)灘、播磨灘など、それぞれ個性のある地域の海があり、産業があり、人々の営みがあり、いくつもの灘の連鎖が瀬戸内海であるということが明治のころに位置づけられました。瀬戸内海という概念そのものはまだ新しく、近代になって共有されたもので、国際観光を振興するなかで普及しました。外国人に対し、世界の中で宝石のようなすばらしい海があるということを訴えるために、瀬戸内海国立公園が70数年前に日本最初の国立公園のひとつとして制定されました。私たちは新しい概念をつくり、新しい地域のイメージを作りあげ、それをブランドとして発信することができます。瀬戸内海という概念は創作されたものでしたが、私たちはいま、瀬戸内海といえばこのようなものだと、日本人なら誰もが誇りとするエリア概念をもつようになりました。

 私はもう一度、それぞれの海、灘、湾の魅力を語りなおす、たとえば瀬戸内海は様々な魅力的な海の集合、地域の集合であるということを語りなおして、その集積が瀬戸内海である、大阪湾である、関西であると、高らかに声をあげていきたいと思っています。

 瀬戸内海という概念ができたときは、大阪から別府に到る一大観光航路「別府航路」が開発されました。当時は島国のなかの内海として幹線となるような観光航路でした。それを軸に、南方、大陸へと多くの人を運び、物資を運び、多くの観光客を往来させました。その後、戦争になり、瀬戸内の魅力は少し色褪せてしまいました。世界の中で、アジアの中で、私たちの地域、海、都市があるのだということを絶えず語りなおさなければなりません。戦前の瀬戸内海をアピールしていた時代、戦後復興、高度経済成長期に渡って、私たちの地域、海、都市は世界の中で確たるものだと誇らしげに語ってきたはずです。しかし、私たちはこの10年くらい、日本は景気が悪いとか、関西は右肩に下がっているとか、人口が減り、生産人口が減り、製造業が大変だ、国債もどうなるものかと将来に対して不安ばかりを語りがちです。危機感をもたなければいけません。私たちは、私たちの暮らす地域、町、海のことをもう一度素晴らしいものだと自分たちが語り直さなければいけません。

 例えば、関西広域連合の関西観光文化振興計画においても、事務局のある段階の案は「2020年にはアジアの文化観光首都になることをめざす」とありますが、その志は少し違うと思うのです。私たちは既に千数百年前からアジアにおける文化観光の首都であったはずです。世界の人たちが関西に憧れ、関西を訪れてきました。今後もそれらをますます伸ばすという前向きな、未来志向の語りをしていただきたいのです。観光の政策においても、国の観光立国の目標値がでたら、それを人口比で割って関西はこれくらいとか、私たちの都市はこのくらいの目標で良いとか、国の数値をもとに目標を設定している傾向があります。クオリティ、質の話をなかなかできないのが現状です。質をもって世界の中で打ってでる、従来のような産業、工業の国ではないかもしれませんが、常に新しい価値を生み出し、新しい地域を創りあげて、常に新しいアイデアをだす。人数や数字ではない部分で勝負をかけるということをいかに高らかに謳うのか、世界の中で私たちの地域がどんな位置をめざすのかを語らず、従来型の考えでいるならばどんどん下がっていくだけでしょう。私はそんなことを懸念して、日々さまざまな場所で語り、さまざまなところで事業を考えたりしています。
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●世界的な創造都市に向けて
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 私はまちのプライドを再生させる思いをもって、大阪の水辺を再生させる「水都大阪」の事業、大阪府では町すべてをミュージアムとして魅力創造をはかる「大阪ミュージアム構想」、大阪市の観光政策では「大阪あそぼ」、大阪商工会議所では「なにわなんでも大阪検定」などの事業で、座長やプロデューサーを務めてまいりました。いずれも大阪人としての誇りをもう一度取り戻そう、世界から憧れる大阪を作ろう、という思いを形にしたものです。

 例えば、大阪ミュージアム構想は、橋下前大阪府知事(現大阪市長)が提唱されたものです。地域をすべてミュージアムにすることの本質として、前知事は空気感の造成だとおっしゃっていました。ある場所を見たときに、そこに行ってみたいなとか、素晴らしい場所かもしれないという世界中の人が知っているような場所のイメージ、ブランドを創ることが必要です。例えば、自由の女神の写真をみればニューヨーク、エッフェル塔を見ればパリ、マーライオンを見ればシンガポール、オペラハウスを見ればシドニーだとわかるように、行ったことがなくても知っている、なぜだかそういう場所をもっている町は、行ったことがなくても素晴らしい町だと思う、そのようなブランド力、イメージを喚起させるようなものがこれらの場所には備わっています。

 大阪府の事業では、水辺に素晴らしい夜景をつくることを4年間にわたって重点化してきました。大阪の御堂筋のイルミネーションも、府民の方の寄付をいただき、ふるさと納税などの基金を投入し、かたちにしてきました。中之島の光のルネッサンス等も一緒になって素晴らしい夜の冬のイベントができました。神戸のルミナリエや京都の花灯篭のような冬場のイルミネーションも京阪神、関西全体でもっと連携すれば、世界に誇れるような風景を生み出すことができると思います。
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●大阪の誇り
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 大阪の事業では、戦前の大阪市民が誇りにしていたいくつかのキーワードを意識しています。そのひとつは「大大阪」です。昭和初期、大阪は東京都を抜く東洋一の大商工地になったという時代の誇りがあります。また、大阪の水際が東洋のベニス、パリ、シカゴ、マンチェスターと呼ばれ、水際を中心とした大阪という町の誇りは、一言でいえば「水都」です。それを現代的にもう一度再生させたいと考えています。かつての人たちがわが町のことを誇らしげに語っていた語り方をいかに現代的、あるいは未来志向で言い換えることができるのか。「○○の都」という言葉をもっている町はどこも素晴らしく、杜の都「仙台」、花の都「パリ」という言葉をもっているだけで、その町に対するイメージがふつふつと浮かび上がってきます。シンガポールはイメージがなかったので、庭園都市という概念をつくって、20~30年でブランドを変えたのです。

 「水の都」という概念も、江戸時代からの概念ではなく、明治30年代から提唱されました。まだ100年と少しの歴史です。水辺の景観が素晴らしいがゆえに「東洋のベネチア」と呼ばれ、中之島の公園整備にあっては「東洋のパリ」「東洋のシカゴ」と言われました。海のほうでは、遷移産業の中心地として「東洋のマンチェスター」という概念が示されます。ベニスなのかパリなのか、シカゴなのかマンチェスターなのか、世界中の各分野のトップの町の異名を全部受け継ぐことができる町が大阪でした。ところが、大阪の人は大阪人としての誇りなのか、私たちが水の都になったのは、ヨーロッパの町と比較されるような新しいことではないと当時から思っていました。江戸時代に天下の台所と呼ばれ、全国の物資の集散所であり、コメの会所が集積、運河が縦横に街中を流れていたころから、大阪は「水の都」であったと言いかえます。また一方では、あるいはさらに遡り、私たちが水の都になったのは、遣唐使、遣隋使を大陸に送りだしたころからだという物言いも可能です。明治30年代に語られ出した物語を、わが町の誇りとして1000年を超える物語に組み替える、私たちが誇らしげに町のことを語り、都市のブランドを語るというのはこういうことだろうと思います。物語は絶えず上書きし、新しい都市、新しい地域の語り方をつくらなければいけないのです。大阪では、いつから煙の都と言われたのか。あれははるか昔、高津の宮から仁徳天皇が神のかまどから立つ煙を眺めた、あの頃に遡ります。私たちの大阪は古くから「煙の都」であったという物語に広げます。水の都、煙の都は美しい水際の町であり、一大産業都市であるということをシンプルに語る、そういう語り方としてブランドが構築されます。

 私たちの地域のことを世界の中でどう位置付けるのかをもう一度真剣に考えなければいけないと思います。例えば御堂筋という世界に冠たる目抜き通り、当時であればプラタナスなど、ヨーロッパ風の街路樹を植えたはずなのに、東洋最大の都市という誇りをもってあえて東洋原産のイチョウ並木をつくりました。当時の大阪市の技師の誇りであり、思いであると思います。大阪城天守閣は当時世界のどこにもなかった鉄筋コンクリート製の歴史的ミュージアムとして前例にないことに挑戦し、それが現在私たちにとっても大事な資産になっています。
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●大阪の水辺再生事業
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 高度経済成長期、川の底からぶくぶくと泡が出て異臭漂う川があり、どこが「水の都」だと感じて育ちました。それが近年、たかだか5年、10年のあいだに中之島界隈はさまがわりをしました。天満橋のあたりや市役所近辺でもホームレスのブルーテントで占拠されていました。平成15年に計画が策定され、大阪の都市再生が始まりました。ホームレスだらけであった水辺に美観が整いました。道頓堀辺りも賑わいのある親水空間に転じました。堤防を後ろに下げた用地を民間に場所を貸すことで、中之島バンクスができました。こういう場所を連鎖させることで、川は数年で見違えるほどになりました。こういう一連の事業を象徴的にするために、私がプロデューサーとなり、水都大阪再生のシンボルイベント「水都大阪2009」を行いました。

 中之島では間伐材を使い、多くのアーティストが市民とともに水辺を楽しむイベントを行いました。公会堂では、子供たちのワークショップで将来の大阪はどうしたらよいのかを議論し、まじめなプログラムをたくさん行いました。また道頓堀川から救出されたカーネルサンダース人形を置いてメガネをかけたり、現代美術作家・ヤノベケンジ氏に頼んでラッキードラゴン号という第五福竜丸にちなむ反原子力のシンボルの船をつくっていただき、これが大阪市内を走り回っていました。要はイベントですので、通常と違う非日常をつくりたいということです。

 私が社会貢献に関して顧問をしている会社にお願いし、ラバーダックを作っていただきました。世界最大級のアヒルのおもちゃを中之島に浮かべるという発想が面白い。このアヒルがシンボルとなり、子供たちにたくさん来てもらえました。子供たちはアヒルを見るために中之島に足を運んでいましたが、彼らにとってその日は忘れない日になっただろうと思います。アートを置くことに意味があるのではなく、それを通じていかなるメッセージを届けるのかが重要です。

 橋下前知事から寄せられた強いミッションにより、大阪の水際と夜景に美観を創出しました。川沿いの堤防や公園をLEDで美しくするということを3年少しで行いましたが、これも苦労がありました。例えば、日本の河川の法律には対岸から見て美しい護岸という概念はありません。護岸の外側に、下向きにブルーラインを入れました。船が通ったり、潮が干満して波が立つと、このブルーラインが揺れ動きます。桜の照明も、従来は公園の明かりは足元を照らし、公園を利用する人が危なくないように光を当てるものでした。従来になかった夜景が美しい公園、夜景の美しい河川敷という概念を創造的に考えようとしましたが、従来のアイデア、法規上にはない概念でした。他でやっていないからこそ、チャレンジをしましたが、3年少しで都心部の川沿いの照明は一新されました。リーガロイヤルホテルの向いあたりの堤防も光っており、空撮するとブルーラインが伸びています。最近はLEDなので、季節によって色を変えることもできますが、やりすぎると道頓堀みたいになるので上品にやろうということになりました。電源も通っていなかった橋にLED照明を当て、同時に従来の古いタイプの街灯を整備しました。都市の美観デザインは、無駄なものを整理しながら新たなものを作っていくということです。このような夜景の美しい川沿いも、パリではここ十年くらいとても力を入れていますが、日本の中で大阪は極めて優れて先を進んでいるということを誰も誇らしげに感じてくれていないことが残念です。天満橋は通常ブルーですが、クリスマスの頃は赤と緑になります。桜の頃はピンクになり、川面にスポットライトが落ちるということをしていますが、あまり知られていないのが残念です。

 周辺の船着き場も、川の底からライトを上にあてる形で青く光っています。安藤忠雄先生が10年ぐらい前から提案されている噴水もかたちになりました。25分間川の水を汲み上げてきれいにし、5分間だけ噴水を打つことができます。30分に1回しか打てない噴水ですが、LEDを当ててきれいな夜景をつくっています。

 川沿いの河川空間に民間がデッキを出す「北浜テラス」などのように、公園や公共空間においても民間が利用してその使用料や収益をあげることで、ますます公共空間が良くなる仕組みを取り入れていきたいと思っています。川床に関しても実は新しいものではなく、たかだか80年くらい前には、天満橋、北浜あたりの川沿いはいくつもの旅館が並び、その旅館や料理屋から直接階段で川沿いに降りることができ、そこから舟遊びができました。京都の鴨川や貴船は河川法ができる以前からやっていたから、現在もやっているのでしょう。法律ができてからはなかなかできないのが現状です。北浜のモデルを先例として、大阪府の方と一緒に「箕面」でできないかということで、「箕面の川床」をやっていただけるようになりました。従来できなかったことを緩和や民間の力を入れながら、新たな公共空間をデザインすることは、地域のブランドや新たな産業が生まれる機会がそこにあるといつも考えています。
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●新たな都市のあり方
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 「水の都」「煙の都」はかつての大阪のブランドでした。今、私は新たに「水の都」「光の都」という形で現代的にあるいは未来的に再生したいと考えています。なぜそんなことを言うのかというと、関西全域の各都市の状況に照らし合わせると、危機感をもっているからです。従来は横並びの都市化の時代でした。ところが21世紀は明らかに都市の時代です。隣の町と同じことをしていて良いという時代ではありません。我が国だけは人口減少、高齢化、少子成熟社会と縮小していますが、世界を見渡すと人類史上見たこともない人口増加の右上がりです。従来は農村に散在していた人口が、いまアジアでも都市部に集中しています。世界人口の過半が都市に集中しているという状態は人類史上なかったことです。世界中で見たこともないようなメガシティがぞくぞくとできています。私たちは、東海道メガロポリスなどかつてメガリージョン概念を国土計画でもっていました。私たち大阪、関西も少なくともメガリージョンとして世界の他の広域と戦う力をもっているということを高らかに謳うべきです。あるいは、東京、名古屋、大阪、関西、これだけのメガリージョンで世界の他のメガリージョンと戦う、東海道メガロポリス概念を現代的に再編するくらいの迫力がないとだめです。どうも私たちはこれからだんだん高齢化で弱くなっていくという議論の土俵にばかり目が向きがちであります。もう一度、圏域、国土の概念等をリセットすることがあっても良いのではないでしょうか。現在、世界の人口が急増している地域も20~30年遅れで、我が国と同じ状況になるはずです。私たちより、よりドラスティックに超高齢化、超少子化社会がアジアの各都市にやってくるでしょう。そのとき、私たちが先行しているモデルを示せるかもしれないと考えています。少なくとも、世界の各都市、日本の各都市も横並びではなく、他のまちとは違うこと、他の圏域と競争しながらあえて新たな手を打っていかなければ勝負に勝てない、土俵にすら乗れないという状況になるのではなかろうかといつも懸念しています。従来の都市論で言うと、世界都市というモデルがしばしば議論されていました。大阪21世紀協会(現 公益財団法人関西・大阪21世紀協会)も、かつては「世界都市大阪」をめざすビジョンを描いたことがあります。従来の世界都市は、ロンドン、パリ、ニューヨーク、東京などの都市、あるいは特定分野で世界有数の力をもっているドイツのバイロイト、浜松なども世界都市をめざすと掲げていました。高度な都市機能の集積をもち、世界的に影響力をもつ都市が世界都市であるという概念でした。

 ところが、近年、クリエイティブ・シティ-日本語では創造都市と訳しますが-、文化・芸術に限らずさまざまなクリエイティブ産業、地域財産などをうまく使ったようなクリエイティブな都市を目指すべきだとする議論がヨーロッパからでてきました。都市文化戦略の権威であるチャールズ・ランドリーの提案から、たかだか15年ぐらいの議論でしかありませんが、世界中に広がりました。大阪市立大学の佐々木雅幸先生による創造都市の定義は「市民の創造活動の自由な発揮にもとづき、文化と産業における創造性に富み、同時に脱大量生産の革新的で柔軟な都市経済システムを備え、グローバルな環境問題やローカルな地域社会の課題に対して創造的な問題解決をおこなえるような創造に富んだ都市」というものです。

 私の理解では、他の都市がどうあろうと、いかなる課題に関しても地域がクリエイティブに新たなソリューションを出していく、横並びや先行事例のキャッチアップ型ではなく、違うソリューションを求めているような人々がたくさん住んでいる都市がクリエイティブであるということになるかと思います。ただ、何がクリエイティブであるかということは、世界中の事例や最先端を学んでいないと、競争力が高い点は何なのかすらわかりません。絶えず世界のなかの自分たちのポジショニングを把握することが全分野に必要であることは言うまでもありません。もはやキャッチアップ型では存在感を示し得ないでしょう。ヨーロッパ型のクリエイティブシティでいうと、イタリアのボローニャ、フランスのナント、スペインのビルバオ、バルセロナなどのさまざまな町で成功モデルがあります。昨年のヨーロッパ文化首都はドイツのエッセン、トルコのイスタンブールなどでしたが、今年はフランスのリールなどかつての工業地帯が、クリエイティブに変身したということで存在感を示しています。ドイツのルール地方、フランスのリールのように、文化、芸術によってかつての産業に加えて新たな産業都市として変換し、存在感を示すことがヨーロッパ型のクリエイティブシティです。この発想を導入した例が横浜クリエイティブシティであり、神戸や名古屋のデザイン都市です。神戸市がデザイン都市を掲げるとき、私は市長のブレーン役として商工会議所のみなさんとともに神戸を世界的なデザインの町にするため、従来のファッション都市から世界的なデザインのハブになっていくべきだということを申し上げていました。

 一方、アメリカ型のクリエイティブ・シティのモデルを、リチャード・フロリダという学者が提案しました。ヨーロッパのように地域の資源を活かすようなタイプではなく、優秀な才能のある人材は国境を超え、条件の良いところに移り住むことから、世界的に創造的な人材を集める都市・圏域を目指すべき、あるいは創造的な基盤をつくることで人材を集めることを政策として行うべきだというのです。
 例えば、ボーイングなどの企業城下町であるシアトルが、IT関連の産業の本拠地になっています。アマゾンなどのさまざまな会社がシアトルに拠点を置くのは、シアトルという町がクリエイティブな産業集積としてすぐれた町だと言えるからだと思います。

 フロリダはグローバルクリエイティブインデックスにより、世界の国を評価しました。ところが、アメリカのリーマンショック以降、状況が変わりました。従来の考え方のままではもはやもたず、新たなクリエイティブな都市をつくるためには、もう一度抜本から見直して新たな土俵を作っていかなければならないだろうということで、「グレートリセット」という言葉を彼は意図的に使っています。私もこの考え方に共鳴しています。ただフロリダのモデルはアメリカモデルであり、私たちアジアの各都市には合わないので、それをいかに関西ナイズ、大阪ナイズしていくことが必要です。従来の当たり前のことをいったん見直して、必要であればもとに戻す、しかしそうでないものは仕組みから組み替えていくべきだと考えます。
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●アジアの都市を知る
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 世界各都市のクリエイティブな地域づくりのモデルをアジア各国がキャッチアップ型でまねをしています。ヨーロッパの内発的モデルと、アメリカの世界中から人と資本を集めるモデルの合間にアジア型のモデルがあります。中国では21世紀になってすぐに、国家の5ヶ年計画で創意(クリエイティブ)産業を重点化することを宣言し、継続しています。北京ではかつての人民解放軍の軍事工場がアジア有数の巨大なアートセンターになり、観光ガイドにも必ず出てきます。大阪でいえば、川口の倉庫街をニューヨークのソーホーみたいな芸術家村にしたいと言っていた方がいましたが、それが果たして世界的な場所になったのか。何十年経ってもできていません。中国は国策ですから数年で国家および都市が認定するクリエイティブな新たな産業クラスターを対外的に打ち出すことができました。私たちに欠けているのは、地域のブランド力を上げるための文化芸術に関わる産業振興政策と文化産業に関するクラスター概念、そして重点的にブランド力をあげるために民間に渡していくという発想がないことです。上海政府に確認したところ、2005年段階で創意産業のクラスターが上海市内に36ヶ所、入居企業は1000社、アメリカ、日本、フランス、イタリアの30カ国の会社が入っているということでした。その後、2年後の2007年には75ヶ所に増え、3500社が入り、3万人が雇用されていました。デザイン、映像制作、建築設計、民芸品の工房など、さまざまなもの含めて創意産業、文化産業と定義し、21世紀になってから中国は各都市に重点的にこの年はこの分野を伸ばすという5ヶ年計画国策のもと、地域ごとの産業政策を進めています。アニメ漫画でいうと、広州はアジア最大級のアニメ漫画フェスティバルを国策として行っています。圧倒的なアニメ漫画の産業見本市として、アジア最大級のものが中国の何ヶ所かで行われています。

 私たちが世界に誇るオタク文化は、同人誌、市民、マニアのようなオタクたちが自らの力でつくりあげた内発的なものです。中国はこれを国策として作っています。日本的な産業の起こり方というのも良いのですが、キャッチアップされると間もなく追い抜かれるのが当然で、危機感をもつべきです。コンテンツやクリエイティブ産業に関するところで、日本はまだまだアジアで優位にあると思われている方々が政策を作り、議論をしています。5年、10年でアジアから追い抜かれるという前提の下に、世界のマーケットをリサーチし、追い抜かれないように次の手を打つことが戦略であるべきなのに、理解や意見がすれ違うところです。

 上海政府が作ったクリエイティブなクラスターのひとつ、上海市直営の1933というかつてのと殺場が、デザインのギャラリーとレストラン街に生まれ変わりました。都市の中で町はずれにあってイメージの良い場所ではない場所を変えていくとこで、エリアの地価をあげ、付加価値を付けて新たな再開発を誘導するということに向き合っています。私たちは土地であろうが、産業であろうが、生活であろうが、付加価値を高めていくというところに力をいれなければならないのです。他にもデザイン系の産業クラスターがあるので、成功、不成功が場所ごとに差がでていますが、このようなところが数十ヶ所あります。

 こういう状況を日本の人たちは、あまり意識していません。アメリカ、パリなどヨーロッパをモデルにすることが多いのですが、アジアの最先端も見ておくべきです。ソウル市が2010年に世界デザイン首都であるということを宣言し、一大イベントを行っていました。実行組織であるソウル市のデザイン財団の方とここ4、5年話をしていますが、かつてオリンピックを成功させたごとく、デザインのオリンピックを成功させる、オリンピックスタジアムを一大デザインの拠点に変え、大勢の子どもたちが参加しています。デザイン教育に力を入れ、ソウルから今後20年、先には世界的なデザイナーが続々と輩出するだろうということを考えて、デザインに力をいれています。漢江にかかる二重の橋は、下は大雨が降ると沈み、上は高架橋になっています。漢江の大ルネッサンス事業により、春から秋にかけての季節の良いときには噴水が漢江に向けて飛びます。片側500m、両側で1km、世界最長の噴水が音楽に合わせてコンピューター制御でショーをおこなっています。これは、ソウル市の市職員からアイデアを募集して、土木の職員がだしたアイデアをやろう、世界にないものをつくろうということでできあがりました。

 シンガポールのウオーターフロントも変わりました。2005年にシンガポール政府が観光の売り上げを何倍にもするという議論をしたときに、2か所だけカジノを認めることにしました。また、川の水をせき止めて、湾全体を淡水化しているマリーナベイに、マリーナベイサンズという統合型リゾートができました。全体の床面積の3%に及ぶカジノを置いて、年間300くらいの国際的なコンベンションを開いています。シンガポールは2か所だけ統合型リゾートをつくって、コンベンションの拠点としています。ホテルに泊まった人だけが入れる空中ジャグジーと空中プールがあります。夜のF1レースが公道でおこなわれています。
 もうひとつは、セントーサ島という再開発したリゾートをもう一度再開発して作ったのがリゾートワールドセントーサです。これは海に面した一大リゾートで、ファミリーエンターテイメントのカジノが全体の3%あり、他はホテルとレストラン街とユニバーサルスタジオシンガポールがあります。大阪のユニバーサルスタジオと同じ数のアトラクションがコンパクトにあり、インドの方たちがファミリーで訪れています。インドからもっとも近いテーマパークがここであり、わざわざ日本に行く必要はないと言うことです。日本は10年ほどのアドバンテージはあるものの、こうした状況の中で観光産業を考えなければ、キャッチアップされつつあると思います。

 上海市の人に聞くと、彼らはアジアにおけるデザインのハブを目指すと言っていました。世界の各都市でライバルはどこだとプサンの映画祭の関係者に聞いたとき、「シンガポールだ」と言っていました。理由は、プサン市は東アジアの資本を集めて、東アジアでヒットする映画をつくるために投資をするゲートを目指しているからです。シンガポールは華僑資本を集めてインド映画に投資しています。そこを見ながら、私たちは何をすべきかを考えているということを市役所の一職員、担当者が即答できるか、できないかは大事なことでとあるといつも申し上げているところです。

 日本の場合は、どの都市といかに戦って、どの分野で国際的に評価され、どの分野を成長させようかという意識が薄いようです。枚方は高槻がライバルだとか、寝屋川は枚方がライバルだとか、そういう次元ではなく、大阪、関西は、どの分野ではどこのメガリージョンと競争しているかということをいつも意識すべきだと申し上げています。
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●おわりに
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 大阪府・大阪市の文化観光まちづくりなど、双方のシンボリックな事業を合わせるということで、より強い大阪を創出すべく、「グレートリセット」というキーコンセプトのもとに、私が部会長となって都市魅力の概念を構築しなおそうと考えています。大阪、ひいては関西という大きなリージョンとが、世界の中で存在感を示さないといけないと思うからです。

 都市の物語を再創造すべきということを申し上げました。「○○の都」というのも何百年も前からあったものではなく、ある段階であるときに人々が作り上げたものです。例えば神戸だと扇の形をしているので「扇港」という異名がありました。戦前は誇らしげに言っていましたが、最近はあまりこういう言い方をしません、福岡は鴻都、横浜も港都とかつては言っていました。行政がつくるブランディングは、ごく普通の町の目標を掲げていて、多くの人がクリアにイメージがわくような概念ではありません。大阪におきましては、「水の都」「光の都」「水の首都、光の首都」というイメージを極めて短期間に世界に打って出るものとして形にしていきたいという思いをもっています。
以上
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