一般財団法人大阪湾ベイエリア開発推進機構
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広報誌『O-BAY』
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バイオで開くベイエリア
竹中幸雄さん

◆たけなか ゆきお
1949
年生まれ。京都大学法学部卒業。1972年神戸市採用、1988年民生局厚生部主幹、以降、経済局経済政策課長、総務局職員部人事課長、産業振興局参事、次長を経て、2002年~20043月企画調整局参与(医療産業都市担当)。20044月より神戸国際観光コンベンョン協会調査役。


 神戸市中央区の神戸ポートアイランド2期地区に生まれた「神戸医療産業都市」。バイオのポテンシャルが高い関西のなかで、先行する北大阪(彩都)や関西文化学術研究都市を凌駕する勢いで成長するバイオ拠点だ。構想が生まれてから、わずか6年の間に、多くの拠点施設が立地。進出企業は国内外のベンチャーから大手企業の研究所まで幅広く、すでに60社を超えている。
  ベイエリアで、日々、成長をつづける神戸医療産業都市とは、一体、どんな街で、そこで何が行われようとしているのか。神戸市企画調整局の参与で、財団法人先端医療振興財団の専務理事を務める竹中幸雄さんに、お話をうかがった。(2004年3月18日インタビュー)
復興に必要だった「成長産業」
 関西はバイオのポテンシャルが高いと言われています。製薬企業が集積する大阪市の道修町があり、また、研究面では京都大学、大阪大学、国立循環器病センターなどが有名です。そんな関西で、神戸には特に目立ったバイオの集積があったわけではありませんでした。その神戸でなぜ医療産業都市なのか。発端は、あの震災にあります。
  平成7年1月の阪神淡路大震災で、神戸は大きな被害を受けました。では、地震前の神戸経済が元気だったかというと、必ずしもそうではなかった。神戸には鉄鋼、造船などの産業がありますが、どれも成熟分野で、21世紀に向けての成長産業というのは少なかったのです。震災被害から立ち直り、神戸を元気にするためには、なんとしても新しい成長産業を神戸に根付かせる必要がありました。
  震災直後から、神戸を元気にできるのはIT産業だろうか、環境産業だろうかと、さまざまな議論を重ねました。その中で、医療という分野が浮かび上がってきたのです。当時、京都大学の総長をしておられた井村裕夫先生が神戸市立中央市民病院の院長に就任してくださったばかりで、この件についてご相談したら、「よし、知恵を出しましょう」と、たいへんな力になってくださったのです。
  そして、平成10年、神戸医療産業都市構想懇談会をスタートさせました。
ポートアイランド2期地区の位置図
現場の問題意識から生まれた構想
 神戸医療産業都市構想懇談会では、井村先生のリードのもと、研究者の先生たちが、つっこんだ議論をして下さいました。神戸というより、日本がライフサイエンスの分野で世界と競争していくためには何が必要かという議論が行われたのです。その結果、平成11年の3月にできあがった報告書では、神戸医療産業都市で取り組むべき医学分野として、1)医療機器の研究・開発、2)臨床研究支援(治験)、3)再生医療の3つをあげています。この路線は変わることなく、今、この3つに取り組むための環境がほぼ整いつつあります。
  ひとつめの医療機器ですが、日本は大型の医療機器に関しては完全に輸入超過状態なんです。海外メーカーが日本の市場を押さえていて、日本のメーカーはなかなか開発に取り組めない。そこで、医療機器の開発を進めやすい環境をつくろうということです。
  新しい薬や療法を開発するとき、動物実験のあと、人に対しての臨床試験(治験)が行われます。それが日本ではなかなか進まないという実態があります。新しい薬を発明しても、世界に先駆けて製品化するのが難しい。それをうまく神戸で進められないかというのが2つめです。
  3つめは、例えば本人の血液中から取り出した血管になる細胞を注射することで、病気で失われた血管を再生させたり、インシュリンを作る細胞を移植して糖尿病を治すという治療法です。まだまだ研究段階の多い再生医療ですが、それをできるだけ早く臨床に生かして、産業にも繋げていきたいと考えています。
 
ミレニアム・プロジェクトとして
  神戸医療産業都市構想は、震災復興のために必要な取り組みとしてスタートしました。国からも復興プロジェクトとして、支援をいただいています。しかし、それだけではなくて、国のミレニアム・プロジェクト(新しい千年紀プロジェクト)が動き始め、ライフサイエンスが21世紀の重要な分野として位置づけられたのと、ちょうど時期が重なりました。
  そして、国が進めるライフサイエンス振興の候補地のひとつとして、神戸が位置付けられたのです。
  理化学研究所の発生・再生科学総合研究センターが予算化されたのは平成11年12月で、神戸への立地が決まったのは、平成12年2月。先端医療センターは、経済産業省の支援を受けてできた施設ですが、この予算がついたのも平成11年12月でした。懇談会の報告書が出たのが平成11年3月ですから、本当にわずかな期間で、神戸医療産業都市の核となる2つの施設の立地が決まったということになります。
  神戸で取り組みが早く進んだのには、もうひとつの理由があります。ポートアイランド2期地区には土地がいっぱいありました。そもそもは国際交流機能用地とか、ファッション産業用地といった土地利用を計画していたけれども、企業立地がなかなか進みませんでした。理化学研究所も先端医療センターも、広い土地のどこに立地させるか自由に考えられる。すでに造成済みですから、決まったらすぐ工事にかかれるという状態だったのです。そして、理化学研究所の発生・再生科学総合研究センターは平成14年4月に一部開設、先端医療センターは平成15年4月に全面開業という早い展開が可能となりました。
  さらに、神戸臨床研究情報センター(トランスレーショナルリサーチ・インフォマティクスセンター:TRI)も平成15年7月に全面開業、また、神戸バイオメディカル創造センター、神戸バイオテクノロジー研究・人材育成センター及び神戸大学インキュベーションセンターが今春完成します。
  そして、これらの施設にあるレンタルラボや、神戸国際ビジネスセンター、キメックセンタービル、神戸インキュベーションオフィスなどに60社が進出、もしくは進出予定です。おかげさまで進出企業は日々増えています。
  我々としては、レンタルオフィスやレンタルラボだけでなく、用地を提供して製造工場や研究所にたくさん立地していただきたいのですが、今のところ3社です。
  ポートアイランド2期地区は、土地計画に住宅を入れていません。動物実験施設や医薬系の研究施設は、周辺の住民から迷惑施設と見られることも少なくないので、どうしても不便な場所に立地することが多いのですが、ここでは、都心に近い便利な場所であると同時に、住民とのトラブルもないというメリットがあるのです。まだまだ土地はたくさんありますので、よろしくお願いします。(笑)
 
中核となる2つのセンターの取り組み
 施設の名前をたくさん並べましたが、それぞれ簡単にご説明しましょう。
  先端医療センターは、経済産業省(地域振興整備公団)と神戸市と民間企業の出資でつくられ、懇談会の報告で出た3つのテーマ、すなわち、臨床研究(治験)、医療機器の研究開発、そして再生医療の臨床応用を進める施設です。臨床研究を行うため60床のベッドを持つ医療機関でもあります。
  医療機器については、磁気を使って人体内部を診るMRI(※1)、CT(※2)とX線治療器が合体したCT?ライナック、身体の外から癌がわかるPET(※3)カメラなどを導入して研究を行っています。また、これをきっかけに、市内の機械金属の中小企業が医療機器の開発に関わる事例がたくさん生まれています。もともと神戸では医療機器をつくる企業はほとんどなかったので、新たなテーマに中小企業が果敢に取り組んだ結果といえます。
  再生医療の臨床研究では、たとえば、足の血管がつまってしまう病気に対して、患者さん本人の血液から血管をつくることができる細胞を抽出、培養して患部に注射するという治療を2例、行いました。2例とも経過は良好と聞いています。白血病患者への臍帯血(※4)移植や、歯槽膿漏で失われた歯槽骨の再生なども準備中です。
  次に、理化学研究所の発生・再生科学総合研究センターです。これがあるから、神戸への立地を決めた企業もあり、非常にインパクトのあるセンターです。センター長の竹市雅俊先生は、京都大学から来られた世界でも第一線の研究者です。非常に優秀な研究者の先生方が集まっていて、ES細胞(※5 胚性幹細胞)などを使った再生医療の実現を視野に入れて、基礎から応用までの研究が行われています。
(※1) Magnetic Resonance Imaging:磁気共鳴映像法。
(※2) Computed Tomography:コンピュータ断層撮影装置。
(※3) Positron Emission Tomography:ポジトロン(陽電子)断層撮影法。
(※4) 臍帯(さいたい)とは、へその緒のこと。臍帯と胎盤に含まれる臍帯血には造血細胞が多く含まれる。
(※5  Embryonic Stem Cell:胚性幹細胞。体をつくるあらゆる細胞になることができる細胞。その特性を持ったまま、増えることができる。
 
先端を支える施設群
 神戸臨床研究情報センターは、文部科学省と神戸市が半分ずつ事業費を負担してつくった施設。新しい治療法や最新のがん情報などのデータを集めて発信しています。遺伝子と病気の関係を解析する取り組みも行います。ここでは、電子情報だけではなく、ウェットラボもあって検体や組織を解析してデータを得ることや、解析手法の開発なども行っています。
  神戸バイオメディカル創造センターは、経済産業省(地域振興整備公団)と神戸市と民間企業の出資でつくる施設で、バイオに特化したレンタルラボです。この施設には、細胞培養センター、動物実験施設、RI(※6 放射性同位元素)実験施設もあります。細胞培養センターは厚生労働省が定めたGMP(※7)という基準に適合しており、ここで培養して増やした細胞は、人の身体に注入することができます。たとえば、臍帯血移植は有望な白血病治療法ですが、とれる量が少ないので、培養して増やすことが考えられますが、それには、GMP基準に適合した培養施設が必要なのです。
  これらの施設は、それぞれの研究所や企業が持つのは大変ですが、ここでは必要なときだけ使うことができます。レンタルラボなども、バイオ研究のニーズに細かく応えた施設になっており、おかげさまで、オープン時に8割の入居を確保することができました。 
(※6) Radio Isotope
(※7)  Good Manufacturing Practice:医薬品等の品質管理と安全性に関する製造基準
さらにひろがる将来構想
 平成16年度には、地域振興整備公団による神戸バイオメディカル開発センター(仮称)が着工する予定です。今のところ場所は未定ですが、ポートアイランド2期地区につくることは決まっています。
   このセンターは医療機器開発の支援施設であり、同時に、ミニ豚による医療従事者のトレーニング施設でもあります。ミニ豚は体重が50~60キロくらい、心臓の大きさが人間とほとんど一緒で、手術の練習ができるんです。新しい医療器具の開発にも使えます。近年、内視鏡やカテーテルを使った手術が増えていますが、その技術を練習する場所は非常に少ないんです。先端医療センターでも手術室の様子を別の部屋で映像で見ることができる設備をつくりました。神戸を、先端医療の技術を勉強し、トレーニングするために、全国からお医者さんが集まる場所にしたいと思います。 今後、ここに整備していきたいものは、ひとつは病院です。先端医療センターは60床しかないので、診療科やお医者さんの数が限られます。大きな手術をするにはスタッフが足りません。神戸市中央市民病院と連携していますが、距離が1.3km。微妙な距離です。もっと近くに病院が必要です。
  もうひとつは、キャンパスです。学生さんが、ここで常に学んでいる状態をつくりたい、そのために、京阪神の大学と連携して、サテライトキャンパスを作りたいと考えています。
 
関西全体をバイオの拠点に
 最初にも言いましたが、バイオのポテンシャルが高い関西の中で、神戸は突出した存在ではありませんでした。関西でバイオというと、大阪の道修町、そして、京都大学、大阪大学、国立循環器病センター、尼崎にはティッシュエンジニアリング(※8)研究センターができています。
  神戸でこの医療産業都市構想が進んだのは、神戸にバイオのポテンシャルがなかったから、逆に、関西全域のバイオ研究機関の協力・連携を受けやすかったということがあったと思います。神戸の構想が生まれる前から大阪府では彩都の計画があり、彩都が力を入れる分野には、あまり踏み込まないよう、すみわけができる計画をしています。
  また、平成13年の8月には、都市再生プロジェクトとして、関西全体で神戸の医療産業都市構想を応援していただける枠組みができました。それが、関西経済連合会が中心になってまとめた「大阪圏におけるライフサイエンスの国際拠点形成」です。
  関西全体がバイオの拠点となり、アメリカや、ヨーロッパ、あるいは、中国やシンガポールなどとの国際競争を戦える力を持てるようにしていきたいですね。
  神戸医療産業都市構想を生んだ最初の懇談会で、神戸の将来だけでなく、日本の医療産業の発展に必要なのは何かということを、研究者の方たちに、きちんと議論してもらったことが、現在の成果に繋がっています。その議論を無駄にしないためにも、神戸を、そして関西を、結果を出せるバイオクラスターに育てていく必要があると思っています。
(※8)   Tissue Engineering:組織工学 病気治療のため人の組織や器官を再生させる技術。


a       はじまりは道修町
商都大阪の中心街
  大阪市中央区道修町。通りを挟んだ「両側町」で、東から西に1~4丁目が並ぶ。名だたる製薬会社の本社が建ち並び、医薬関係企業がたくさん入居するテナントビルがあり、かと思えば、重要文化財の商家やレンガ造りのレトロなビルディングもある。ビルの狭間に小さな神社もある。
  豊臣秀吉が開発した街「船場」は海運によって全国から物資が集まった商都大阪の中心地。その一角を占める道修町が、関西はバイオが強いといわれる、そもそものルーツである。 

水際で偽薬を防げ
  豊臣秀吉の時代から北船場は長崎からの輸入品を扱う貿易商が集まる街だった。江戸初期(1635年)、ここに堺の商人が薬種屋を開いたのをきっかけに、中国から輸入される唐薬種(漢薬)を扱う薬種商が集積した。   薬は人の生死に関わるもの。命を気遣う心につけこむ偽物も出る。その真偽を見定めるには知識と経験が必要だ。道修町で吟味された薬への信頼は高く、江戸時代の半ば以降、唐薬種はすべて大阪を通して流通するようになる。和薬も大阪を含む全国5都市の「和薬種改会所」を通すことに定められた。なかでも大阪の薬種商はその実績を認められ、和薬・唐薬の品質を保証し、適正価格を定める総元締めの役割になっていた。 
製薬会社が集積する道修町

ふたりの薬の神様
 少彦名神社 

  道修町2丁目、ビルの合間に小さな神社がある。「少彦名神社」、別名「神農さん」。
  道修町の薬種屋は、真偽改めに間違いがあってはならぬと、それぞれの家に、中国の医薬の神様である神農氏の掛け軸をかけて拝んでいた。1780年、寄り合い所の床の間に、日本の薬祖神「少彦名命」と神農氏とを祀った。それが神社の始まりだ。
  明治になって近くの神社との統合を命じられたが、和漢ふたりの薬の神様を祀ったこの神社は、薬の街、道修町になければ意味がない。そこで統合を避けるため、必要最低規模の社殿を建てたのだという。
  今でも少彦名神社は道修町に集積する数多くの製薬、薬品関連会社に支えられ、参拝を日課にしている社員も少なくないという。科学が進み知識が増えても、命に関わる仕事に就く人の思いは変わらないのだろう。


医薬をめぐる学問
 明治時代になり西洋医学が入ってくると、薬の扱いにも薬学の知識が必要となってきた。道修町では薬業者たちが協力して学校を設立、その系譜は、大阪大学薬学部や、大阪薬科大学に繋がっている。   また、江戸末期に、医師であり蘭学者であった緒方洪庵が適塾を開いたのは北浜3丁目。道修町のすぐ近所である。ここから明治維新で活躍する数多くの人材が輩出された。また、適塾の流れは大阪医学校、府立医科大学に引き継がれ、さらに大阪大学へと発展し今に至る。

貴重な道修町文書
  江戸時代には、さまざまな業種で株仲間という同業組合があった。株を持ち、株仲間に入ったものだけが幕府から許されて営業を独占する仕組みで、道修町薬種中買仲間は株数124、株仲間は道修町1~3丁目に住むことと定められていた。薬に関わるものにとって道修町は憧れの場所だったが、株取得のハードルは高かったようだ。   明治時代になって株仲間は解散、どの業界でも株仲間時代の資料は失われてしまったが、道修町だけは例外的に近代の同業者組合によって保存された。33,000点以上と言われるこの「道修町文書」は、近代の産業史を知る上で非常に貴重な資料となっている。現在、少彦名神社内のくすりの道修町資料館(※)で一部を見ることができる。
※(参考) http://www.kusuri-doshomachi.gr.jp/


そこに生きる人 「創薬を追求する」
三田 四郎さん
株式会社エムズサイエンス 代表取締役
  
三田四郎さん「日本の製薬業界が今取り組むべきことは日本独自の開発による創薬です。確かな研究開発力を持つベンチャーだからできる初期段階からの開発で、社会に役立つ新薬をつくっていきたい」と語る三田さん。製薬ベンチャー起業の経緯や課題、可能性についてうかがった。
 
武器はシーズを見出す力
  製薬ベンチャーを設立したのは、創薬への強い思いからでした。私は参天製薬株式会社で14年間研究開発に携わっていました。創薬は膨大な時間と費用がかかります。欧米の大手製薬会社は、豊富な資金にモノを言わせて全く新しいコンセプトの薬剤や、初期段階の研究にも積極的に投資するという印象を受けます。このような研究投資はハイリスクかもしれませんが、製品化できた場合、社会的貢献も利益も大きいわけです。   もちろん国内製薬企業もハイリスクではあるがハイリターンの新薬創製を狙っているとは思います。しかし研究開発資金に余裕がないと、他社からの導入品などある程度製品化が見込まれるものや、改良新薬の開発などローリスクの薬剤開発に力点が置かれる傾向が強い。
  また、今の日本企業で今後大きな問題になると思われるのが大学などアカデミアの研究との乖離(かいり)です。画期的な新薬を創製する為には大学等で行われている学際的な研究が重要です。企業が最先端科学に取り組む大学の優れた研究成果を十分に理解し、実用化へのシナリオをつくる能力を持つためには、大学と同様のスタンスで実施する自社研究が重要なのです。
  日本は産学間の人的交流も欧米に比べると少ないため、大学と同じような研究はどうしても手が出ないというような風潮が強いように思われます。現在、国内製薬企業の研究開発は規模の違いのみならず、質的にも欧米同業者とは違いがあるように思えてなりません。
  私は最初のアイデアの立ち上げからの薬づくりを追求したいという思いが強くありました。初期段階のシーズの発掘は、個人の能力に負うところが大きく、優れた研究者を確保できれば、資金力が多少弱くてもなんとかなる。実用化へのシナリオが提示できたら大手企業と共同で行えばいいわけです。だからこそベンチャーでもできると思い起業しました。 
エムズサイエンスの事業コンセプト
神戸から人類に役立つ創薬を
 会社は、2000年11月に設立。現在は投資家から集めた資本金を研究開発の原資としていますが、薬づくりはお金がかかるので、実際非常に厳しいです。神戸立地の決め手となったのは、創業当時ここにしかなかった貸し実験室と、医療産業都市というビジョンが明確なことでした。進出後は、同地区への進出第1号ベンチャーということもありPRを随分していただいたことや家賃補助も有難いです。   現在、開発に取り組んでいるのは主に二つ。一つは、「ヘルペスウイルスを利用したガン治療」。今もご指導いただいている名古屋大学の西山幸廣教授の研究に基づいたもので、ガン治療やワクチン、遺伝子治療などへの実用化を目指します。もう一つは、参天製薬時代から、自らてがけて発掘し、起業に伴って権利を継承した「抗うつ薬」で、臨床試験中です。従来のものより早く効果が出る可能性が示唆され、医療現場は興味を持ってくれています。
  これから臨床データを積み重ねて有用性を示す必要がありますが、健常者対象の投与実験が済み、今後、患者さんへの投与を行わなければなりません。臨床試験ともなると、億単位の費用が必要ですし、投与する薬も厳格な基準でつくるため非常にお金と時間がかかります。現在、開発提携できる企業を求めており、これから欧米企業にアプローチをしようという段階です。今年中には提携して新薬づくりを加速させたいと思っています。そして、より一層研究活動を充実させ、ここ神戸から、社会に役立つ新薬を送りだしたいと思います。 
 

◆みたしろう
1951年芦屋市生まれ。薬学博士の学位を取得後、1979年から慶應義塾大学医学部助手。1986年参天製薬に入社。2000年に参天製薬を退社し、株式会社エムズサイエンスを起業、現在に至る。


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