「関西、西日本は地震が少ない」、「すぐれた耐震技術を持つ日本の都市は安全だ」……根拠の無い安全神話は、1995年の阪神・淡路大震災で崩壊した。そして今、東海、東南海、南海地震が、21世紀中に起こるだろうといわれている。50年後かもしれないし、明日、起きるかもしれない巨大地震。日々を、おびえて過ごすわけにはいかないが、備えは必要である。
阪神・淡路大震災の10年ほど前から、ライフラインや都市の総合防災システムの構築に取り組み、関西の地震活動期の再来に向けた備えの必要性を訴えている亀田弘行先生に、関西の地震活動の現状、大震災の教訓を踏まえた防災の必要性などについて、お話をうかがった。 |
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総合防災システムの必要性 |
私はもともと耐震構造学、つまり、道路、橋など構造物ひとつひとつの耐震構造の研究を専門としていました。阪神・淡路大震災の10年ほど前、京都大学の防災研究所に移ってから、ライフラインや都市の地震防災に対象が広がりました。これは、土木工学だけでなく、建築、地球物理、社会科学まで、多分野の専門家が集まって、共同で進めるべき研究で、私はその旗振り役を務めていました。
阪神・淡路大震災で、世界に誇る耐震技術を持つ日本の都市が、大きな被害を受けたのを目の当たりにして、まだまだ、研究と実践が足りないことがわかりました。
あの震災が2005年ではなく1995年に……私が定年退官する前に起こったことを運命だと思って、この仕事に全力を注ごうと決めました。地震という自然現象にとって10年はほんの誤差の範囲ですからね。 |
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海溝型地震と直下地震 |
地震には2つの種類があります。ひとつは海溝型(プレート境界型)地震。この近くでは、駿河湾から紀伊半島の沖につながる「南海トラフ」という海溝が、地球全体のプレートの境界線になっていて、ここで、100年から150年の間隔で、必ず大きな地震が起きます。前回は、1946年の南海地震でした。
もうひとつは、内陸直下地震。阪神・淡路大震災もその典型的な例です。直下地震をひきおこす活断層は全国に何千とあって、そのうち約200ヵ所が、特に注意すべき活断層とされています。
直下地震は海溝型地震よりもエネルギーは小さいのですが、年表(次頁)を見ていただくとわかるように、非常にたくさんの死者を出してきた危険な地震です。なぜかというと、文字通り真下で起こるうえに、一瞬のうちに激しく揺れ、エネルギーを一気に放出して、2階建ての木造家屋とか、鉄筋コンクリートの5~6階に害を与えやすい地震波を出すことが多いのです。
では、海溝型地震は危険が少ないのかというと、そうではありません。直下型ほどの鋭利な揺れではないけれども、被災範囲が広いので、緊急対応、救助活動が難しくなります。南海、東南海、東海の3つが今世紀中には起こるだろうと言われていますが、最悪の場合、3つ同時に、連鎖的に起こることもありえます。1707年の宝永地震がそうでした。そうなったら東海道メガロポリスは全て被災地となります。
局所的に激しい被害がでる内陸直下型、非常に広い範囲に被災が広がる海溝型。その違いを見極めて、備える必要があります。 |
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阪神・淡路大震災は「はじまり」 |
さて、阪神・淡路大震災の前、甚大な被害を出す地震はしばらくありませんでした。日本もずいぶん安全になったなと、錯覚した人もいたでしょう? 確かに安全になってきている面もあるんですが、1946年の南海地震以降、関西の地震活動は静穏期だったんです。
これまでの地震活動を見ると、海溝型の大きな地震が起きたあと、50~100年ほど静穏期になり、その後、直下型が続けて起こる時期が50年ほど続いて、また海溝型の地震が起こるというのを繰り返していますね。プレートにひずみが溜まってくると、内陸の活断層が先に耐えられなくなって、そのうちのいくつかが弾けるんです。やがてプレート本体が、ドンとはじけると、まだ弾けていなかった活断層のひずみも開放されて、しばらく静穏期になる。
つまり、阪神・淡路大震災は「はじまり」なんです。関西は地震の活動期に入り、次の南海地震が起こるまで、いくつかの直下地震に見舞われるはずです。
阪神・淡路大震災の前、関西、西日本は地震が少ないのだという人がいました。なぜそんな迷信が広がったのでしょうか。ひとつは、前回の地震活動期が、戦争という、地震よりはるかに悲惨な「災害」、それに伴う報道管制の時代に重なったために、人々の記憶に残らなかったことがあると思います。その前は1854年の安政南海地震ですからね。自然災害の記憶を語りつぐことは、とても大切なことです。
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日本の耐震技術は世界一だが |
日本の耐震技術は世界第一級です。でも、技術を持っていることと、都市が実際に安全であるということの間には、大きなギャップがあります。以前、海外の震災被害を見て、「日本の街はこんな壊れ方はしません」と言った人がいましたが、それが錯覚だったということは、阪神・淡路大震災の被害を見れば明らかです。
技術は常に進歩します。たとえば、1960年代の新潟地震や十勝沖地震の教訓をもとに、耐震技術が大きく進歩しましたが、それが、設計基準に組み込まれて制度化するのは、1980年ごろなんですね。技術はあるのに、義務化されていないから使われない時期もあるわけです。まして、都市は、何十年もかかって造られていくものです。昔の技術、基準で建てられた構造物がたくさんあります。それぞれに老朽化もしていきます。
われわれは、世界に誇るトップクラスの耐震技術を持っていますが、その恩恵を受けている建物は、神戸でも大阪でも、そんなに多くはないでしょう。 |
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津波への備えは可能か? |
最近、私は京都から神戸に移り住んだのですが、一番の違いは、やはり、海があることですね。人間というのは水をみると安心するんだということを、今、強く感じています。
けれど、アメニティのすばらしさと、災害のリスクというのは、常に同居しています。地震の場合、海辺でおこる被害というと、液状化と津波ですね。
液状化による岸壁の被害は大きいですが、液状化が起こるのはだいたい地下20m位までで、建造物の場合、基礎をそれより深く入れておくことで、被害を防ぐことができます。
津波は、非常に危険です。津波とは海溝型地震が起こる瞬間、海底面が跳ねあがった分、海面が盛り上がり、その山が崩れ落ちながら伝わる波です。台風の大波とは、エネルギー量の桁が違います。どんな巨大台風でも、海面近くの水しか動きません。津波は、プレート境界の深さが1,000mあったら、1,000m分の厚さの水が一気に持ち上がり、崩れるわけです。次の南海地震で、津波が紀伊半島から四国の沿岸に及ぼす被害が非常に心配です。
大阪湾にやってくる津波は、高潮のための防潮堤でだいたいカバーできると言われています。ただし、問題が2つあるというのが専門家の見解です。まず、津波の前には当然地震がありますから、液状化が起こって防潮堤が被害を受けたら、そこから津波が入ってきます。次に、たくさんの水門を津波が来るまでに、全部、閉めることができるかどうか。ですから、大阪湾は守られているから安心だとは思わずに、津波がきたらどこに逃げるかを決めておくことです。
南海地震が起こった場合、それぞれの海岸に何分後にどのくらいの高さの津波が来るか、京都大学の河田惠昭さんが計算しています。それぞれの土地で大切なことは、とにかく5分以内に逃げるとか、30分以内に水門を閉めるとかを知っておくことです。
実際の南海地震では、あらかじめ計算したとおりのことが起こるとは限りません。地震の強さ、場所、ゆれ方の癖などによって津波の大きさは異なります。この種の情報を出す場合、行政は得てして臆病になりがちでした。行政が出した情報は、責任を問われることが多かったからです。けれど、行政といえども、自然現象に責任を取るわけにはいきません。だからと言って、まったく情報が無いのは危険です。
情報を受け取る市民の側も、それが、不確定性の高い情報だということを知った上で、目安として活用するという意識が大切です。 |
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地震防災フロンティア研究 |
阪神・淡路大震災が残した教訓はたくさんあります。私が取り組んできた、総合防災システムが重要だという認識が強まったことも、そのひとつです。
防災システムを構築するには、社会的課題、情報課題、物理的課題の3つの研究をバランスよく進めることが必要です。地震防災フロンティア研究センターには、この3つの課題に、政策課題を加えた4つの研究チームがあります。
多種多様な研究を行っていますが、たとえば、震災直後に撮影した被災地の航空写真の画像情報からコンピュータが被害個所を抽出する技術。地震発生直後、迅速に救援・復旧を行うには、とにかく早く状況をつかむことが必要です。この技術を使えば、被災地の上をヘリコプターで飛んで写真を撮影し、その画像を解析することによって、被害の大きい場所を把握できるわけです。
昨秋発足した川崎ラボラトリーでは、「高度情報化時代に相応しい、高機能、低コストの防災情報システム」の研究開発を行っています。GISに被害状況や緊急対応、復旧活動の情報を盛り込んだ情報システムですが、重要なことは、平常時から住民データや固定資産、ライフラインの管理といった、行政の通常業務に使われるシステムとして開発していることです。
自治体では、災害の時だけに使われる専用システムを、莫大な予算をかけて構築し、維持管理するのは、大変な無駄です。普段使ってないシステムを災害の時だけ上手に使いこなせるものでもありません。初期投資は少額で、自分たちで育てていける通常業務用のシステムが、災害時に、救援、復旧・復興などの業務にも、ちゃんと機能するようにしておくというのが大切なんです。 |
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もっとも大切な「伝える技術」 |
いくら耐震技術が進み、地震のメカニズムがわかっても、一般の人に知ってもらって、次の震災の被害を軽減することに役立たないと意味がない。地震の専門家である私たちに、今、もっとも必要なのは、「伝える技術」かもしれません。工学の専門家の社会的な役割ですね。
これまでの日本の防災研究では、応用研究の価値が認められにくく、また、防災実務(現場)への適用プロセスは研究の対象とされていませんでした。科学研究の場では往々にして起こりがちなことですが、防災研究は、被害を少しでも小さく抑えることを目的にしているはずです。
地震学からは、東南海地震は21世紀中に80%の確率で起こるというメッセージが出されています。地震防災の世界では、これは「必ず起こる」という数字と受けとめるべきです。では21世紀のいつか。それはわかりません。海溝型地震は、予知できる「かも」しれませんが、あくまで可能性があるということですし、直下地震の予知はできないという前提を置くべきです。
地震学者の中で、相当、勇気のある人が、「2030年くらいに起こる」と言っています。それを聞いて、どう思いますか? 30年という時間は、街全体を安全にしていこうという、複雑なプロセスを考えると、決して、長すぎる時間じゃないですよ。今すぐ、取り組みを始めたら、間に合うかもしれませんが、始めなければ、何もできない。
1995年の正月、千里ニュータウンに住む私の弟と地震の話になりました。私は、家具を固定することを薦め、彼は次の日曜日に金具を買って来て、家中の家具を固定したそうです。ご存知の通り、阪神・淡路大震災が起こったのはその翌週です。もちろん、1週間後に地震が来ることを予知していたわけではありません。偶然です。
しかし、皆さんは、家具を固定したほうがいいと聞いて、実際にいつ行動しますか? 数ヵ月、あるいは、1年、何気なしに先送りにしたりしていませんか。
個人も、街全体も、明日、起こるかもしれない巨大地震に、どう備えていくか、考える必要があります。
大震災から8年が過ぎ、また、人々が地震への備えを忘れかけているようにも思えます。私たちは専門家としての研究と同時に、常に、あらゆる方法で、備えの必要性を、人々に訴えていかなくては、と思っています。 |
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